こんばんは。
永遠の定義をインターネットで書き込むのは実に2度目。1度目は某BBSに。そして今回です。

19の身空で言えた事じゃないのだが。
俺は昔―常に覚醒されていた時期に、一番考えていたことは『死』についてである。
『死』に対する美意識が思考的にも精神的にも占めていた。
具体的な死についてではなく、『死』の存在というか。その神秘さというか。
今でも、何か『しでかしてしまった』ような出来事があると、『あー、死んでしまえ』みたいなことを自分に思ってしまう。本当にそう思っているとかではなく、癖のようなもので。いってしまえば、自分に罵声を浴びせることで自分を許そうとしてるのだ、と今ではだいたい見当がつく。

話を元に戻すと、今回書き込むのは『永遠』の定義(自論)である。

私には小学校からの友人(α)がいた。
彼女とは、最後には誰より近いのに一番話さない人になってしまったが。彼女を好きでいた。今、昔に比べて自分が出来るようになったことや、好きになったものは彼女に教わったことである。
でも、友だちというものがよく解かってなかった(今でもちょっと解からないけど)あの頃、その関係を潰してしまったのは自分だった。彼女の思い出は常に美しく輝く。彼女と過ごしながらその思い出を胸に毎日彼女のそばで生きていた。
今、進路も違い彼女は私にとって「失ったもの」である。
高校にあがり、今のここにも出てくる友人(β)に出会った時に苦しんで出た結果がこの定義である。

彼女(α)は私にとって「永遠」なのである。
同時に彼女(β)は「永遠」になれないのだ。

『永遠』になる条件
それは『失われたもの』である、ということ。

もちろん、永遠その意味通りのものはこの世に無い。思い出もやがて、その人が消滅する時に同時に消えていくもの。だから、これは考え方。というか理想というか。
『永遠』が美しく見えるのは、人間の記憶という機能と時間によって、より想い出が洗練されるためである。

前回の日記で記載した詩の中の永遠が違う、というのは、『永遠』は生きている間に作られるもの。死んでなお途切れずにいるはずだ、とするのはロマンなのである。

以上。

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